らみぃちゃ(ボーっと生きる)

定年退職後、東京から地方へ移住しました。時間がある時に日記感覚で書いてみようと始めました。ボーっとしててもなんとかなるサで生きています☆彡

生み育ててくれてありがとう。

こんにちは。 らみいちゃです。

 

藤の花の季節はだいぶ過ぎましたが、綺麗に撮れていた写真をみつけたので、

貼ってみました。

私の実家には藤の木があり、幼少の頃から大好きな花です。

現在住んでいる街にも藤棚があり、その季節には風に揺れる藤の花を見て

癒されています。

さて、今回は私の両親について書きたいと思います。

還暦を過ぎた私の両親なので、父が92歳、母が90歳、超高齢です。

おかげさまで、今も元気に過ごしております。

 

借金で円形脱毛

父は元漁師で近海で魚を釣り、それで生計を立てていました。

私が中学生の頃、新しい船を造り、同時期に家も新築したと思います。

裕福な家では無かったのに、莫大な費用が掛かる事を同時に行い、

家計を預かる母は苦労したと思います。

その頃母は、たしか円形脱毛症になったと記憶しています。

 

新しい船は当時最先端で、抜群に性能が良かったらしく、

父は大漁に次ぐ大漁で、家計も少しづつ潤ったようです。

その頃の私は母の苦労も知らず、脳天気に部活に明け暮れていました。

後に母から「こずかいも満足にあげられなかったね?」と言われましたが、

部活しかやっていなかった私は、充分楽しく過ごしていました。

私が脳天気過ぎるのもありますが、お金の苦労を感じさせなかった両親に感謝です。

 

長い長い介護の日

当時実家では祖父母も一緒に暮らしていました。

祖父は私が東京に出た頃に亡くなり、その後何年かして祖母が寝たきりとなりました。

寝たきりの祖母を、母は十何年も介護していました。

現在も介護は大変ですが、当時は行政や民間のサポートもさほど無かったでしょう。

私は既に東京で働いていたので、祖母の介護を手伝う事は出来ませんでした。

長い介護を経て祖母が亡くなった後、市役所から母に賞状が届いたようです。

賞状の内容は、長期にわたる介護への表彰です。

母は「勲章をもらった」と喜んでいましたが、私は心から母を誇りに思います。

 

陸に上がった父の楽しみ

父は漁師を引退した後、乗っていた船を売りました。

大活躍してくれた思い入れのある船を手放すのは、本当に寂しかったと思います。

しかし手先が器用な父は、造った時の設計図を元に、

廃材でミニチュアの船を作り始めました。

自分の手元には当然のこと、欲しいと言ってくれる親戚や漁師仲間に

既に20隻くらい作ったのではないでしょうか。

マンション暮らしの私は、更に小さめの船を作ってもらいました。
私の船だけ一部象牙が使われています。(ちょっと高価です!)

現在は象牙は手に入りませんが、昔釣り道具として購入した象牙

余っていたようです。

漁師一筋だった父が、陸に上がっても毎日楽しそうで本当に良かったです。

 

認知症の母にしてあげる事

現在母は認知症になってしまいました。

計算は早いし、暗記力は優れているし、漢字は良く知っているし。

まさか⁈とと思いました。

漁師の妻、お金の苦労、長年の介護・・・ずっと自分の事は二の次だった母。

「もう自分の好きな事をしたらいいよ」と言っても、やる気が無いようです。

家族の事はちゃんとわかってるし、基本自分の事は出来るし、笑うし怒るし

はたから見たら普通に見えるでしょうが、やはり新しい事は覚えられません。

何をしたら良い刺激になるだろう? 私には良い案は浮かんで来ません。

せめて実家に帰った時は一緒にいて、話し相手になろうと心掛けています。

たまに喧嘩になりますが。。。そこは母娘です(笑)

 

久しぶりの外泊

実家のお風呂をリフォームすることになり、数日間お風呂が使えなくなりました。

ド田舎なので銭湯などありません。

そこで工事の間だけ両親が親戚の家に泊まる事になりました。

下は親戚の近くにある公園での写真です。

今より若くて元気な頃は、東京を案内したり、温泉に連れて行ったりしましたが、

足腰も弱ってしまったので、もう長距離移動は難しいでしょうねぇ。

公園での二人は楽しそうで、笑う両親を見て私も幸せな気分になりました。

 

両親に向けて

親の話になると、思いが募り長くなってしまいました。

今私は心に決めている事があります。

照れくさいのですが、両親に直接「生んでくれてありがとう」と言いたいのです。

92歳と90歳・・・あまり猶予はありません。

早く伝えられるよう頑張ります‼